東京高等裁判所 昭和28年(う)1155号 判決 1953年7月07日
控訴人 被告人 鈴木千代
弁護人 佐藤義彌
検察官 小出文彦
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金参千円に処する。
原審における未決勾留日数中参拾日を壱日金百円に折算して右本刑に算入する。
被告人に対し公職選挙法第二百五十二条第一項所定の五年間選挙権及び被選挙権を有しない旨の規定を適用しない。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は弁護人佐藤義彌の提出にかかる控訴趣意書に記載されたとおりであるから、ここにこれを引用し、これに対し次のように判断する。
第一点の一について、
証人は自己の経験した事実をその記憶に基いて供述するのが原則であるが、証言事項に関し記憶を喚起することができない場合においては、同人が先に任意に作成した答申書その他の書面を参照させることによりその記憶を喚起させて供述をさせることも敢て違法ではなく、この場合において相手方はその書面の呈示を求めてこれを調査し又は右書面の作成等に関し証人に反対尋問をなす権利を有するものと解するを相当とする。本件において検察官が所論答申書の内容を告げて右証人を尋問したのはこれにより右証人の記憶を喚起させてその供述をさせたものと認められ、且つ、本件においては右答申書の呈示を求め又は右書面の作成等に関し反対尋問をなす機会は被告人に与えられていたものと認められるので、本件訴訟手続には所論のような違法はなく論旨は理由がない。
第一点の二について、
現行犯逮捕手続書に記載された逮捕状況の記載が犯行当時の状況を立証するものとして犯罪事実認定の証拠として取調を請求された場合には、右記載は被告人以外の者の作成した供述書の性質を有するものと認むべきであるからそれが刑事訴訟法第三百二十三条第三号にいわゆる特に信用すべき情況の下に作成されたものと認められない限りは刑事訴訟法第三百二十一条第一項第三号に該当する書面として同条項所定の要件を具備する場合においてのみ証拠能力を有するものと認めるのが相当である。本件において右逮捕手続書は逮捕状況の記載が本件犯行当時の状況を立証するものとして証拠調を求められたものと認められるのであつて、且右書面は捜査機関たる司法警察員が作成し、被告人に不利益な証拠として検察官より取調を請求されたものであり、一件記録に徴するも右書面が刑事訴訟法第三百二十三条第三号にいわゆる特に信用すべき情況の下に作成された書面とは認められないのであるから、原審が弁護人の異議を却下してこれを同条項に該当する書面として証拠調を施行したことは違法であるといわねばならない。しかし一件記録を調査すると右書面の作成者たる司法警察員渡辺修三は右逮捕手続書の取調前既に公判廷において被告人並びに弁護人の反対尋問の下に証人として取調を受け、逮捕当時の状況について詳細陳述しているのであつて、右証言その他原審が挙示した各証言を総合すれば優に判示事実を認めることができるのであるから、右違法は結局判決に影響を及ぼすことが明かなものとは認められない。
故に論旨は結局理由がない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 谷中董 判事 荒川省三 判事 中浜辰男)
控訴趣意
第一点原判決は、訴訟手続に法令の違背があり、右法令違背が判決に影響を及ぼすこと明であり、刑事訴訟法第三七九条に該当し、且、憲法第三十一条に違背するので破棄を免れない。
一、証人、植田武雄の訊問に於て、証人が記憶がないと陳述したのに対し、検察官は「答申書によると女の人が突然大きな声で「私を何するんですか、ビラを配つたからとて何処が悪いんですか」と男の人にくつてかかつたというように書いてあるが、この様な事があつたのか」と質問し、 異議申立 却下 答「そのような事がありました」 更に検察官は、「尚答申書には女の人は大声で「皆さん平和を守る私等共産党を此の刑事が、ビラを配つただけでつれて行くのです。皆さん皆さん」と叫んでいたとあるが、こういう事はあつたか、なかつたか」と質問し、 異議申立 却下 答「そのような事はありました」(記録八十丁)と陳述した旨の記載がある。
そもそも証人の供述は、現在の記憶に基いてなさるべきもので、覚えていない旨の供述があつた後に、更に此の様な事項を検察官が訊問する事は、明に誘導訊問である。しかも何れも「答申書によると」なる言葉を先づ発して、証人がそれとちがつた事を云つた場合には、答申書の提出先である警察署に対し、証人が不利益な立場に立つおそれがある事を暗示しているのである。一般私人が警察に対して有する威怖の念をたくみに利用したものと云うべく、証拠法則に違背した訊問であるので、原審裁判長は、此の訊問を制止すべきものである。しかるに、右異議申立を却下して、質問を許した上、右証人の供述を事実認定の証拠に挙げているのである。之は、明に違法な訊問を許した点で、訴訟手続に法令違背あるのみならず、右証拠を採証に供した点で採証法則に違背したものである。
二、現行犯人逮捕手続書を検察官は、刑事訴訟法第二二三条第三号により取調請求し、弁護人は、不同意であるにも拘らず「決定取調済」となつている。(記録六七丁)。而して、原判決は、右現行犯人逮捕手続書を証拠として、挙示しているのである。
思うに、右現行犯人逮捕手続書は、その提出の根拠法令よりみても明かに書証として提出され、その記載内容が証拠となるのである。その記載内容は逮捕者渡辺修三の一方的認定を記載したものに他ならず、しかも、後述の通り、事実に反し、到底刑事訴訟法第三二三条第三号に定める「特に信用すべき情況の下に作成された書面」に該当しない事明かである。よつて、右証拠調は、明に刑事訴訟法第三二三条第三号に違背し、しかも、右証拠に基いて、事実を認定した事は、証拠能力なき書面を採証に供した違法があり、判決に影響を及ぼすこと明であるので、原判決は、此の点に於ても破棄を免れない。
(その他の控訴趣意は省略する。)